【今週の気づき】とは、社内風土改革と称して勝手に始めた社内メルマガ(執筆は業務時間外)の内容を、社外秘を含まないよう一部加筆修正してブログ化したものです。
社内勉強会
人間とは本当に無駄が好きな生き物である。先日課内で開催した光学勉強会「5分でモテる!光学Tips」(普段は「5分でわかる!光学Tips」を月一で開催)、これほど無駄なものはない。内容は、「レンズの名前の由来はレンズ豆」「ビー玉の焦点距離」「ダイヤモンドの屈折率」など、業務と関係のない知識を無理矢理“モテ”と結び付けるという、ふざけたものだ。この先なんにも役に立たない情報ばかりだっただろう。生産性の欠片もない。にもかかわらず勉強会後のアンケートを見てみると、とても好意的に捉えてもらえている。何より自由コメントの記載率が異常に高い。あんな無駄なものに、ありがたいことである。
心に残る授業
僕自身も無駄が大好きだ。中学の頃は無駄話をする先生が好きだった。長田先生という国語の先生で、授業とは全く関係のない昔話だけで授業が終わることもあった。
どんな話かというと、例えば大学入学時の話。部室で行われた新入部員歓迎会では、なぜか部室の床にびっしりと新聞紙が敷き詰められている。その理由は、新歓が進むにつれてわかってくる。「次、自分いきます!」と言ってラッパ飲みして、酔い潰れた新入部員が次々と床に吐くためだ。そして、気付けば自分もいつの間にかゲロにまみれながら新聞紙の上に横たわっている。その様子を時には間を取り、聞き手に「早く続きが聞きたい!」と思わせながら語る。
また、ある時にはバイクで事故った話。バイクで走っているときの風やバイクの音、カーブを攻めるときの心情、カーブを曲がり切れずに転んだときに見た景色など、抑揚やタメ、問いかけを無駄につけて話す。無駄話に無駄な描写をふんだんにトッピングした話をワクワクしながら聞いていた。
風土と無駄
最近は会社で職場風土の話題が多い。職場風土とはどうやって作られていくのか。人間は無駄が好きである。まずはその前提に立った方が良いと思っている。無駄をそぎ落として効率化されていったとき、その先に働きたくなる風土は残るのだろうか。
風土とは無駄の選択のことだ。どの無駄を取り入れて、どの無駄をそぎ落とすのか。その選択が風土を作っていくのだと思う。無駄を削るのは簡単である。効率化と言えば誰もが納得するから。一方で無駄を作ることは簡単ではない。反対意見も出るだろう。勇気も必要だ。つまり、風土作りには意志が必要となるのだ。
では、どういう無駄を選択すればいいのか。そこに正解はないのだろう。結局は無駄の方向性とさじ加減を試しながら微調整を繰り返していくしかない。正解がないのであれば、それぞれが自分の好きな無駄を少しずつ試してみるのがいいと思う。
思えば新入社員のとき、堅い職場の雰囲気が苦手だった(今はそんなことないです)。それは無駄のない職場だったからだろう。最近は雑談の価値が注目されるなど、無駄の価値が見直されつつあると感じている。それぞれが自分の好きな無駄を選択した時にどんな風土が出来上がるのか。その景色を一度見てみたいとも思う。
という無駄話である。