「あのときもっと」
と思うことは誰にでもあるのだと思う。すこし昔を振り返ってみて、あの頃のあの時間、もっと活動しておけばよかった、もっとなにかに打ち込めばよかった。そういうちょっとした後悔みたいなものが人にはあるのだと思う。
大学時代の後悔
ぼくの場合、「あのときもっと」と聞いて思い浮かべるのは、大学時代の休み期間だ。大学では夏と春に長期の休みがある。1ヶ月から2ヶ月ほど、授業のない期間がある。ぼくは大学生活のその休み期間のほとんどをなにをするでもなく、ダラダラと過ごした。期末のテストが終わったあとの開放感を存分に感じたあと、実家に入り浸り、ただただ自由な時間を過ごした。きっと少しのバイトをしたり、ゲームをやったりもしたのだろう。友人とも遊んだりしたのだろう。でもほとんど記憶に残らないような生活をしていた。ただただ空いた時間をなにをするでもなく消費していた。
いまになって、その期間を「あのときもっと」と思うのは、大学時代の休み期間が人生において貴重な期間だったとわかるからだろう。1~2ヶ月も、自分で自由にできる時間があることなど、社会に出てからはない。そのときにその自覚がないのだからなおさら、仕方のないことかもしれないけれど、いまは「あのときもっと」と思うのだ。
貴重な期間
さてさて、先週も書いたけれど、いまぼくは仕事の春休みに突入している。仕事に追われている、仕事で忙しい、なんてことはまるでない。この状態をどちらかといえば「良くないこと」と捉えている自分がいるけれど、もしかしたらそんなこともないのかもしれない。未来の自分から見たら貴重な期間かもしれない。
大学時代の反省もふまえて考えると、いま求められているのは「自分で自分を忙しくする」ことだろう。納期の迫った仕事もない。どこからか仕事が降ってくるでもない。だからこそ外に出る。会いたい人に会いに行く。自分で自分の役割を定める。自分の仕事を自分で決めてやっていく。
世間ではChatGPTというなんでも答えてくれるAIツールが賑わっている。ChatGPTによって、ホワイトカラーの仕事の9割はなくなるなんて書かれた記事も見かけた。仕事がなくなると捉えるか、仕事をしなくてもよくなると捉えるかは人それぞれだけど、人がやる仕事は変化するということだ。
だからこそ、自分で自分の仕事をつくっていくことの重要性が増していくと感じている。今後の世の中でも求められるのは「自分で自分を忙しくする能力」だろう。他人に忙しくされるのではなく、自分で忙しくすること。自分で自分を使わなければ、他人に(あるいはAIに)自分を使われるのだ。
自分の役割
この空いた期間は自分を見直すいい機会になっています。自分のこれまでの活動を振り返ってみて、自分の役割を現時点で言葉にするならば、「自分と周りの人の知的好奇心を満たし、学びや成長を共有・加速させること」となる。
この空いた期間は、この役割に沿うように行動してみます。
今週のいちまい
東京に講習を受けに来ました。ビルがいっぱいですね。
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