パソコン用の外付けCDドライブを購入した。
図書館で落語のCDを借りたものの、家のCDプレイヤーの調子が悪く、再生できない。どうしたものかと困っていたら、パソコンからデータをDropboxなどのクラウドに保存し、スマホからそのクラウドにアクセスして再生する方法を教えてもらった。メルカリで外付けCDドライブを購入し、家でスマホから落語を聞いている。便利な世の中になったものだと感心した。
一方で、ストレスを感じたこともある。購入したCDドライブが、USBでつなぐだけでは動かないのだ。CDドライブをパソコンにUSBでつなぎ、さらにコンセントともつながないといけない。この些細な不便さがストレスなのだ。買う前に確認しておけよ、と言われればそれまでなのだけど、買い替えちゃおうかなと思うくらい、億劫に感じたのだ。
なぜ自分は、USBだけでは動かないCDドライブにそれほどのストレスを感じたのだろうか。コンセントにつなげるくらいの些細な不便さが、どうしてストレスとなるのか。今週は「不便を生み出す」についての気づきである。
不便と我慢の境目
不便さとストレスは直結するものなのだろうか。不便ではあるけど、ストレスにならないものはあるだろうか。
例えば、自分がそのまま江戸時代にタイムスリップして、料理のために火起こしするとしたらどうだろう。ガスコンロのない不便さは感じるだろうけど、きっと不便さを受け入れ、ストレスにはならない気がする。それはガスコンロがまだ存在しないと知っており、火起こしの不便さを解決する手段を選択できないと認識しているからだ。そう考えると、不便さはストレスに直結するわけではない。不便をストレスに変えるもの。それは「不便の解決手段を選択できたであろう状態」なのだと思う。
CDドライブについても、USB給電という解決手段は知っていたし、それを選ぶこともできたにも関わらず、そうしなかった。そう思うことが、ストレスになり、そのストレスを解消したくて、USB給電のCDドライブを買いたくなるのだ。
購買動機
考えてみると、人が何かを買うという行為は、このストレスを解消するためのものが多い。自分の行動を振り返ってみても思い当たる。このブログでも以前紹介した、エコバッグの「シュパット」を買った経緯もそうだ。
「シュパット」がラジオで紹介されていて、「そういえば、エコバッグ畳むの面倒だな」という不便さと、「へぇ、畳むのが楽なエコバッグがあるんだな」という解決手段を知る。そのときはすぐに購入するまではいかなかったけど、その後、いざエコバッグを畳むときに、やっぱり面倒だと思い、畳む行為をストレスに感じるようになる。
つまり、解決手段を知り、その手段を選択できる状態であると認識したため、不便が我慢になり、ストレスに変わったのだ。そのストレスを解消するためにシュパットを購入したと言える。
不便を生み出す
便利な商品や、便利な技術は、新しい不便を生み出しているとも言える。現代人が手放せなくなったスマホも、昔の人はスマホが無いからといって不便だなんて思わなかったはずだ。不便を産み出す商品、言い換えると、新しい不便に気づける商品やサービス。自分で商売をするからには、こういった商品を目指したい。