さすがプロだなあ。
と思うことがあった。
今週、人物フォトグラファーの真岡そらさんにプロフィール写真の撮影をしていただいた。以前から、個人で仕事をするのに、身なりを整えた写真が必要だと感じていたところ、真岡さんと知り合う機会があり、これもご縁だとお願いすることにした。
撮影するにあたって、髪や顔のメイクもオプションでプロのメイクの方に頼めるとのことだった。お願いするか悩んだものの、こちらについても「せっかくだから」とお願いしてみた。
プロに任せる
なぜ悩んだのか。それは、髪をセッティングするのは自分の方がうまくできるなんて思っていたからだ。ぼくは生まれつきおでこが広いし、髪だって猫っ毛だ。普通の人とは違う特殊な髪だ。これまで、美容院で最後にセッティングしてもらったときにも、あまりしっくりしたことはない。だから自分の方がうまくセッティングだってできる。そんなふうに思っていた。
しかし、である。
いざメイクしてもらうと、普段自分ではやらない髪型を自然にやってくれる。ぼくの要望を聞きつつ、「こっちのほうがお似合いですよ」とセットしてくれる。ぼくもぼくで「たしかに」となってくる。
撮影も同じだった。撮影でいちばんよくないのは照れることだろう。いつもの自分なら照れてしまうであろうポーズも、表情も、言われたとおりにやってみる。通行人が通ろうが関係なく、言われるがままにやってみる。そしてやっぱり、言われたとおりにやるほうが、写真映りもよい。
プロと言われる人たちには、ぼくには見えていないものが見えているのだ。
プロが見ているもの
プロとはなにか。人はどんなときに「この人プロだなあ」と思うのだろうか。
技術がある。自分には到底できないことができる。役割を全うしている。色々な場面があるだろうけれど、今回、プロフェッショナルを感じたのは、「人の可能性を引き出している」ということだ。
当然ながらぼくは、自分を生きている。もう何十年も自分とつき合っている。そうすると意識せずとも自分の行動パターンが出来上がってくる。そのパターンしたがっていれば安全ではある。安心もするし、変になることはない。良くも悪くも無難である。
しかし、プロと呼ばれる人は、その無難の外側にある可能性を見つけてくれる。「もっとこうしたらよくなりますよ」「ここを変えてみたらいい感じになりますよ」と伸びしろを見つけて、カタチにしてくれる。まさにぼくが「さすがプロだなあ」と感じたのは、この部分だ。
プロとは、その人の可能性を見出して表現してくれる人のことなのだ。
プロの種を育てる
じゃあ、自分はなんのプロなのだろう?
自分はいったい人のなんの可能性を見出だせるのだろう?
そう考えると難しくなってしまうけれど、自分がプロになれるかもしれないことって意外と身近にあったりするものです。コミュニケーションの方法でも、ちょっとしたお絵かきでも、料理でも。
「もっとこうしたらよくなるのに!」
と思ったら、それはもうプロの種なんですよね。
どうしたらもっとよくなるのか。それをひとつひとつ、言葉にしていき、説明できるようになれば、それはもう立派なプロと言ってもいいのだと思います。
写真が手元に届いたら公開しますね。
今週のいちまい
メイクの様子。初メイクに初ビューラー。
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