「わからない人代表」というポジションがある。
たとえば、テレビの報道番組において、専門家が集まるなかに知識の浅い人が混ざり、率直な疑問を専門家に投げかける。そのやりとりを見た視聴者は「そうそう、それが知りたかったんだよね」と思う。いわば視聴者に代わって質問する人だ。
また、講演会やセミナーなどでは、登壇者から会場に向かって「なにか質問ある方いますか?」と、質問タイムがある場合がほとんどだ。このときに手を上げて質問する人もいる。その質問が的を射ていようが的を射ていまいが、きっと会場には同じ疑問を持った人がいる。そして同じ疑問を持った人は「よくぞ聞いてくれた」と思うものである。
自分が本当にわからないことを人に聞いてみる。わからない人代表というポジションは、人前で質問することで、専門家とそれ以外の人をつなげる役割なのだ。
わからない人になれるポジション
ぼくがいま参加しているプロジェクトのメンバーの一人と今週、1on1をした。その方は、ぼくと同じように、外部から業務委託として参加している人である。つまり、ぼくと同じで業界素人である。
1on1中にその方に、
「会議の場で大谷さんが社長などに色々と質問してくれるので助かってます」
と言っていただき、意外であると同時にうれしくもあった。
ぼくとしては、プロジェクトをまとめる立場として疑問点を残しておいたままではまずいという気持ちがある。だから、「知らないこと」や「わからないこと」があれば質問するようにしており、それが自分の仕事だと思っていた。
でもこの認識は正確ではないかもしれない。
本当のところはわからないことをわからないままにしておくのが、ただただ気持ちが悪いのだ。だから、相手に多少疎まれようとも聞くことができる。むしろ、プロジェクトマネジメントという立場を利用して、わからないことをたくさん聞いているのだ。
この「わからないことをそのままにしておけない」という性質が、偶然にもいまの環境に一致して、「わからない人代表」として役に立てていたのである。
特性が活きる場所
自分の価値とはなにかを考え続けている。情報をわかりやすくまとめること。まとめた情報を言葉にしたり、見えるようにしたりすること。それが自分の価値だと思っていたし、相手に喜んでもらえているという事実もある。
でも、より身近なところで価値を感じてもらえているのはむしろ、目に見えるものではなく、「わからないことをそのままにしておけない性質」みたいに自然とやってしまうことだったりする。そしてそれが「かゆいところに手が届く」ような、替えの効かない価値になるのかもしれない。
自分が放っておけないこと。やらずにはいられないこと。ここに自分の根本的な価値があるような気がするんですよね。
今年最後の投稿です
本投稿が今年最後の投稿になります。今年もありがとうございました。大変お世話になりました。また来年も、読んでいただけたらうれしいです。
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