自分の未来を信じられるか。
将来なりたい自分になっている、その未来を信じられるか? そう聞かれて100%の気持ちで「信じられる」と答えられる人はどのくらいいるのだろう。
もちろんぼくは100%の気持ちで「信じられる」なんて答えられない。
自分で稼げるようになりたい。息子に家を買ってあげたい。会社を立ち上げ、世の中に必要とされる事業をつくりたい。息子の生きる未来を少しでもよくしていきたい。そうなりたい気持ちはある。なれたらいいなと思う。しかし、未来の自分をどれだけ信じていますか? と聞かれても、やっぱり100%とは答えられないだろう。
無計画の週
今週は、無計画に過ごしてしまった週である。
週の計画を立てず、さらには1日の時間割をつくるということもなく、1週間を過ごした。それなりにやらなきゃいけないことはやっている。最低限のことはたぶんできてはいる。しかし、やっぱりどこかだらけてしまう部分はあるし、ふとしたときにSNSを見ている時間が多かったような気もする。漠然とではあるが、なんとなく充実したとは言えない週になった。
喫緊で締め切りのせまった仕事があるわけではない。緊急で対応しなければいけないことも特にない。だったら別にいいじゃないか、ゆっくりすればいいじゃないか、と思う部分もある。しかしやっぱりなんだか満たされないのだ。このままじゃダメだ、みたいな焦りがある。これはなぜだろうか。
自分の可能性を大事にする
その答えのヒントがこの記事の中にあった。
この記事の内容を自分なりに解釈するとこうなる。
自分を大事にすると言うけれど、では具体的に自分のなにを大事にするのか。もちろん身体も心も大切にする。しかしそれ以上に、自分の可能性を大事にするのがいいのではないか。
計画を立てないこと。一日の時間割をつくらないこと。これはぼくにとって、自分の可能性を大事にできていないという認識なのだろう。心身にまったく負荷のない日常は、自分の可能性を大切にしていることにならない。負荷があるから成長するし、成長するから可能性が広がる。
自分の可能性を大切にするためにも、必要な負荷を計画する必要がある。筋トレをするように、トレーニングをするように、可能性を大切にするから、未来を信じるから、負荷を選択するのである。
怠け続けられないのは、自分の可能性を大切に思っているからだ。怠惰なのが嫌なのは、未来の自分を信じている自分が確かにそこにいるからなのだろう。
自分を信じている証拠
さて、未来のことはわからないもの。100%未来の自分を信じられるなんて答えられなくてもいいんですよね。怠けることが嫌であれば、それは未来の自分を信じ、自分の可能性を大切に思っている証拠なのだから。
年の計画、月の計画、週の計画、一日の計画。できることから地道にやっていきます。自分の可能性を大事にするために。