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【今週の気づき/169】信じるということ

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「信は野球をがんばってます」

ぼくが高校生のころ、父がぼくの担任の先生に言ったことばだそうだ。「だそうだ」と書いたのは、ぼくはその場にいなかったからだ。

部活で野球ばかりをして、勉強をまったくといっていいほどしていなかったぼくは、当然のように成績はクラスで最下位どころか、学年で最下位を争う位置にいた。そのぼくと同じように、野球ばかりをして最下位争いをする同じクラスの友人がいた。ふたりの成績の悪さに危機感をおぼえたのか、担任はぼくの親と友人の親をまとめて呼び出し、3者で面談をした。

おそらく担任は、もっと家庭で勉強するように指導してほしいと、ぼくの父と友人の母に言ったのだろう。そのときに父が言ったのが冒頭のことばだ。担任になにを言われても、同じ趣旨のことばを返していたという。それを横で聞いていた友人の母は心のなかで拍手したんだと、友人は教えてくれた。

このエピソードを知ったのは、高校を卒業して数年経ったあとだ。担任に呼び出されたことも、どんな話がされたのかも、父はぼくになにも言ってこなかった。

教師でありながら父は、ぼくに「勉強しろ」と言ってきたことは一度もない。それは勉強しないことを大きな問題と捉えていなかったからだろう。

「なにかひとつでもがんばることがあれば、それでいい」

父はよくこう言っていた気がする。だから「信は野球をがんばってます」と言ったのは担任に抵抗するつもりではなく、本心からのことばだったのだと思う。

小学校から野球をはじめたぼくは、近所のバッティングセンターによく父と通っていた。網膜剥離によって両目に視力障害をもつ父は、バッティングセンターのボールや打球は見えていなかったと思う。

それでもぼくが打っていると、後ろで見ている父は「そうだ!」とか「ナイス!」とか、「ボールを点で捉えるんだ!」と言ってきた。「ボール見えてるの?」とぼくが訊くと「音と姿でわかる」と言っていた。父は自信を持って言っていたけど、ぼくが打ち損じたときも「そうだ!」と言っていた。「わかってないじゃん」と思ったけど、「そうだ!」と言っているときは、たとえ打ち損じてもしっかりバットを振っているときだ。ぼくはその父の適当さ(実際には見えてないからしょうがないが)がおもしろくて、堂々とバットを振るようになった。

中学高校になると、ひとりでバッティングセンターに行くことが増え、父と行く回数は減った。「バッティングセンターに行く」と父に言うと、「そうか」と1,000円札を渡してくれた。「しっかり打てよ」とか「大事に使えよ」と小言を言ってきてもいいものだけど、そうしたことばを言われたことはなかった。ただただ1,000円札を渡してくれた。それどころか、ぼくが家で退屈そうにしていると、「最近バッティングしてないんじゃないか?」と言って1,000円札を渡してきた。中学生、高校生の息子にだ。

中学、高校にもなると、お金はなにかと必要になる。友人とお金が必要な遊びをするようになるし、おしゃれのための洋服だって買う。買い食いだってする。お金はあればあっただけいいものだ。1,000円もらったまま適当に時間を潰し、自分の財布に入れることだってできる。でも父にそれを疑われたことはない。ことばや態度に、疑う素振りはまったくなかった。そしてぼくも、この1,000円をバッティング以外のことに使うのはいけないことだと思っていた。裏切ることだけはダメだと思っていた。人は完全な信頼を裏切るのはむずかしいのだ。信頼するとはどういうことかを、体現してくれていた。

2月2日に、父が亡くなった。享年82歳だ。

父はぼくになにを残してくれたのだろう。なにかひとつあげるとしたら、それは「人を信じるということ」だ。

その人の今を信じること。

最後は大丈夫だと、その人の未来を信じること。

信じるとは、その人の今も未来も、まるっと受け入れることなのだ。

心残りは、2秒で行動に移せること

海外旅行に連れていけばよかったとか、温泉に連れていけばよかったとか、そういう後悔はないけれど、心残りがないと言えば嘘になる。

会ったときに、もっと話をすればよかった。もっと肩をもんであげればよかった。手を握ってあげればよかった。

心残りになるのは、いますぐにでも、2秒あれば行動に移せることなんですよね。

父に親孝行できたと自信を持って言えないけど、父の人生がしあわせであったのならいいなと思う。

お父さん
いつも味方でいてくれて、信頼してくれて、自信をつける声掛けをしてくれて、本当にありがとう。いまこうやって自分の仕事を持てているのもお父さんがいてくれたからです。目が悪いのに、よくがんばったね。おつかれさまでした。ゆっくり休んでね。