今週の気づき PR

【今週の気づき/039】「いつも」について

記事内に商品プロモーションを含む場合があります

【今週の気づき】とは、社内風土改革と称して勝手に始めた社内メルマガ(執筆は業務時間外)の内容を、社外秘を含まないよう一部加筆修正してブログ化したコラムである。

「いつもありがとうございます」

土曜日のお昼。スキー帰りに寄った白馬のお気に入りのお蕎麦屋さんで、注文した天ざる蕎麦を僕の目の前に置きながら女将さんは言った。今シーズン、この蕎麦屋で食べたのは3週連続の3回目だ。天ぷらの具材の中には梅干しの天ぷらもある。前回と前々回は、天ざる蕎麦の載ったお盆をテーブルに置くとき、女将さんは珍しいものを紹介するように「こちらは梅干しの天ぷらです」と説明した。今回はその説明をせず「いつもありがとうございます」と言った。それは「何回か来たこと覚えていますよ」という意思表示のようでもあり、僕も覚えてくれたことを嬉しく思った。一方で、女将さんの言った「いつも」に少しの違和感を覚えた。なぜ違和感を覚えたのか。
今週は「いつも」について考えてみる。

「いつも」とは何か

違和感の正体は何だろうか。
例えば僕は、毎週水曜日の夕食は近所の定食屋に行くことにしている。必ずしも毎週水曜日、と決めているわけではないが、なんとなく水曜日で落ち着いている。定食屋では“いつも”ロースかつ御膳を頼む。食べ終わった後のお会計のときには、大将に「“いつも”ありがとね~」と言われる。今週は“いつも”のセリフに加えて「今日の肉はうまかったろ~、脂がサシで入ってて」なんて言われたけど、味音痴の僕は、正直よくわからなかったので「“いつも”おいしいですよ」なんて答えた。

定食屋のやり取りで使われる「いつも」には違和感がない。この違いは何だろうか。それはきっと、定食屋に行くこと、ロースかつ御膳を食べることが、僕の中で日常となっているからだろう。水曜日になると自然と足が定食屋に向かう。定食屋ではロースかつ御膳を注文する。これは特別なことではなく、ごく普通の日常なのだ。「いつも」とは、日常の中にある物事を指す言葉だ。

どのくらいの回数や頻度で通えば日常になるのかは、人や状況によって変わるのだろう。3回も行けば日常と感じる人もいれば、10回くらい行かないと日常と感じない人もいる。または月1回で日常と感じる状況もあれば、週1回でも日常と感じない状況もある。あるいは物理的な距離も関係しているのかもしれない。
3回がまだ少ないと感じたのか、それとも白馬を遠いと感じているのか、スキーに行くこととその帰りに蕎麦屋に寄ること、これらが僕の中でまだ日常になっていなかったのだろう。だから女将さんの「いつも」に違和感が残ったのだ。

「いつもありがとう」は、日常を肯定する言葉

「いつも」とは、日常に目を向けた言葉である。そう考えると「ありがとう」と「いつもありがとう」は同じ感謝の言葉でも、注目している部分が全く異なる。「ありがとう」は特別な行為に対して言われがちな言葉だが、「いつもありがとう」は日常に対して言われる言葉だ。相手の日常に思いを寄せ、その日常を肯定する言葉である。特別何かをしてくれた、助けてくれたからではなく、何気ない日常を肯定する。存在そのものを受け入れる響きがある言葉だから、言われたときに嬉しいのだ。

新しい日常

蕎麦屋のお会計で、女将さんに話しかけられる。「この辺りに住んでいるんですか?」と人差し指を立ててぐるっと一周させる。その動作から「この辺り」を白馬周辺と解釈した僕は、
「いや、松本に住んでいるんですよ。スキーで来てて」と答える。「そうなんですか。また来てくださいね」「はい。また、来ます」と答えてからお店を出る。

心なしか「また来てください」に真剣さを感じた。
だからというわけではないが、今シーズンはお蕎麦屋さんの「いつもありがとう」を違和感なく受け取れるくらいに、白馬に通おうと思うのだ。