身近な誰かの成功を耳にしたとき。
ときとしてぼくは嫉妬する。いいなああ、うらやましいなあ、ずるいなあ。嫉妬する自分の気持ちに向き合いたくないがゆえに、その人を悪者のように仕立てることもあるかもしれない。
あるいは身近な誰かがいかにもうまくいきそうなことをやりはじめたとき。そのときもぼくは嫉妬することがある。うまくいかなければいいと、そんなことさえ思うかもしれない。あるいは、嫉妬の気持ちを抱えたくないがゆえに、その人との距離をとるかもしれない。
しかし嫉妬が応援に変わることもある。それは「なぜやるのか」という理由のなかに切実さを感じたときだ。
なぜそれをやらなければいけないのか。何のためにやりたいのか。誰のためなのか。やる理由に切実さが伴なったとき、ぼくはその人を応援したくなる。うまくいってほしい。成功してほしい。力になりたいとさえ思う。
嫉妬が応援に変わるとき、そこには切実さがある。
「嫉妬」が「応援」に変わるとき
今週、ある社長さんのインタビューをしていたとき、いかにもうまくいきそうな仕組み(社内制度)の話を聞いた。これを取り入れると、社員の給与がすごくあがる。モチベーションも上がり、働く時間も減る。社員は会社経営を自分ごと化し、仕事も自分から進んで巻きとっていく。誰かの「やりたくない」ことを、誰かの「やりたい」とマッチングさせる。そのような仕組みだ。
眉唾ものだけど、それができる理由を聞いていくと、本当にできる気がしてくる。どこかに穴がないかと探すけれど、穴がないように思える。「そんなうまい話あるわけない」が「そんなこと本当にできるの?」になり、さいごは「本当に実現できそう」になった。
そのときぼくは嫉妬した。たとえば社員さんたちの給与があがることに。たとえばその制度を導入しようとする社長さんの人柄に。うまくいったあとの絵が浮かび、「うまくいったらなんか嫌だな」という気持ちが湧き出てきたのだ。
しかしそれは、すぐに解消されることになる。社長さんのやる理由を聞いたからだ。
報酬を上げたい気持ちはあるけれど、それが一番ではない。一番は「やりたくない」が言える場所にすること。ひとりひとりが「やりたい」と思えることをやり、輝いてもらうこと。安心安全の場をつくり、自分が社員一人ひとりとつながりたい。
お付き合い当初から一貫して「つながり」を願うその姿に、切実さを感じたのだ。
切実さに触れる
生きていれば、そりゃあ嫉妬することはある。嫉妬をエネルギーに変えられればいいけれど、嫉妬が誰かの足を引っ張る気持ちになってしまうことだってある。しかしその気持ちを抱えたままで過ごしたくはないもの。
そんなときこそ、嫉妬を感じた相手の「切実さ」を聞いてみればいい。どんな思いがあるのか。その背景にどんな痛みがあるのか。なんのために、だれのために、なぜやるのか。これらを聞くといい。
そしてもし、自分が「これはいいぞ」というものをはじめるとき、恥ずかしがらずにそこにある思いを語るといい。自分の切実さを語るのは、まわりにいる誰かを嫉妬させないための、やさしさでもあるのだ。
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