息子が腹を抱えて笑っている。
お正月のある場面だ。息子が床に転がりお腹を抱えて、文字通り「く」の字になって笑っている。「くぅ~」と言いながら、息をするのもやっとのくらいに笑っている。なぜそんなに笑っているのか。YouTubeを見て、笑っているのだ。
たのしさの感性
なにがそんなにおもしろいのかと、その動画を見せてもらった。動画の内容は、投稿者がアイコンのプロフィール写真を撮影し直すというもので、顔に風を当てて撮ってみたり、水をかけて撮ってみたりといったものだ。ぼくにはそのおもしろさがよくわからなかったけど、息子にはささったようだ。お腹を抱えて、床を叩きながら笑うくらいなので、それはもう、ささりまくっている。
で、思うのだ。きっとこれは「ジェネレーションギャップ」とか、「大人と子供の感性の違い」、みたいなものではないのだと。
ぼくが小学生くらいの子供時代に、ひとりでこんなに腹を抱えて笑うことはなかった。もちろん、毎週水曜日のドラゴンボールをたのしみにしていたし、お笑い番組(志村けんさん)もおもしろく観ていた。古畑任三郎だって毎週ワクワクした。たのしくはあったけど、「これがたのしいものですよ」という世の中の空気感みたいなものも同時に感じていた。世間が感じる「たのしいもの」を、自分もたのしめているという感覚。一種の同調性のような安心感からくるたのしさがあったと思う。
独自の”たのしさ”の追求
いま現在、世の中はコンテンツであふれている。“たのしいもの”の選択肢が多くなり、ぼくら親世代にあった“共通のたのしいもの”はきっと少なくなっている。逆に言えば、本当に自分がたのしめるものを選択できる環境にいる。 誰かと同じではないし、みんなと共通のものでもない。自分だけのたのしさを追求し、自分だけのたのしさ感度を高める環境が整っているのだ。
だからこそ、「そんな動画おもしろくない」とか「くだらない」なんて言うのではなく、おもしろいと思えるその感性を認めてあげたいと思う。自分とは違う子供の感性こそ、将来の強みに育つ可能性だってある。
きっと10年後や20年後は、世の中の人それぞれが自分独自の“たのしさ”を追求し、それをカタチにしている世界になっているのだろうなあ。子供にはそのような世界で伸び伸びと個性を発揮できるよう育ってほしいし、大人はそんな世界のための下地づくりに貢献できればと思うのです。