大学院への進学を目指すぼくにはふたつの選択肢があった。
そのまま同じ大学で進学するか、または他大学を受験するかという選択だ。大学4年のぼくは、迷いなく他大学を受験すると決めた。魅力を感じている特定の大学があった、ということでもないし、いまの大学や研究室に特別な不満があったわけでもない。むしろ同級生たちがいて、知り合いの多いいまの大学のほうが楽しい大学院生活がおくれると想像できた。しかし受験すると決めた。それは居心地の悪さを求めたからだ。
居心地と成長
「人は居心地の良い場所にいると成長できない」
これは、浪人中に通っていた予備校の講師が言っていたことばだ。そのことばが、大学4年になったぼくの中に残っていた。大学はぼくにとって、居心地のよい環境になっていた。そしてそのまま推薦で進学することも、ある意味で居心地の良い選択だった。もちろん居心地のいいところを選択するのが悪いというわけではない。ずっと居心地の悪いところに居つづけるのはつらいし、ともすれば居心地の良さを求めてしまうのが人情だろう。でもそのときぼくが求めたものは、居心地の悪さだった。なによりも成長したいという欲求があった。ぼくの場合、居心地よりも成長を取ったということだ。受験という居心地の悪い経験。違う環境に入るという居心地の悪い経験。これを求めたのだ。
独立後の状況と成長
ついこの前に4月になったばかりだというのに、あっという間に4月も後半になっている。継続いただける仕事もなく、収入という意味では、独立後に最も厳しい状況にある。しかし不思議と焦りや不安は少ない。それはなぜだろうか。
ひとつには、微力ながらも役に立てているという実感があるだろう。収入の有無に限らず、関係する方々から「ありがとう」の言葉を直接いただけている。この1年で関係した方々、その方々からご紹介をいただいた方、その人たちに少しでも役に立てばと、自分にできることを提供できている実感がある。つまり、社会との接点を持てているということだ。
そしてもうひとつ、コンフォートゾーン(自分の居心地のいい場所)の外に出ている実感があることだろう。最近は自分で営業活動をし始めている。企業に直接連絡を取り、会ってもらえるよう提案をする。会っていただけた企業には直接提案をする。こういう機会が少しずつ出てきている。
ずっと営業はやりたくないと思っていた。自分にはできない、向いていないと決めつけていた。その営業をやっているということ。やってみたら意外とやれているような気もすること。この経験が大きいのだと思う。
稼げていない状況は、決して居心地のいいものではない。そのなかでも自分のできることをやっていっている。自分がいままでやってきていないことに、挑戦してみている。この居心地の悪いことを選択できていることが、自分の成長を実感させ、不安や焦りを減らしているのかもしれない。
後悔の最小化
Amazonの創業者ジェフ・ベゾスが提唱する、「後悔最小化フレームワーク」というものがある。これは、80歳の自分が人生を振り返って、その選択を後悔するかどうかで目の前の判断をするものだ。
自分に置き換えてみると、80歳の自分が振り返ってみて後悔しないこととは、たいてい「居心地の悪いもの」になるのだと思う。大学院への受験も、大学院で環境を変えたことも、いまはその選択が正しかったと思えている。それは目先の居心地の良さに流されず、人生という長い視点をもって居心地の悪さを自ら選択できたからだろう。
いま、居心地の悪い状況にいる人たち。身体的にも、精神的にも決してラクではないでしょう。でもそれは人生を俯瞰してみれば、後悔を最小化している期間なのかもしれないし、少なくとも成長につながっていることは間違いないと思います。
ともにがんばりましょう。
今週のいちまい
大阪に行ってきました。最近は会える方には会うようにしています。
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