今シーズン初めてのスキーに行った。
シーズン初ということもあり、約一年ぶりだ。初回だし、慣らし程度と思って、軽めに基本的な動きの確認くらいのつもりで滑っていたけど、そのうち飽きてくる自分がいる。どうしても軽めの動きや、基本の確認だとつまらないのだ。
なぜ好んでやっているはずのスキーでも飽きてくるのか。飽きるとはどういうことなのか。今週は「飽きる要因と、飽きないコツ」についての気づきである。
挑むこと
ひと通り基本動作を確認し終わったあと、リフトに乗っているあいだにスマホでレッスン動画を観て、新しい動きに挑戦することにした。
動画で見た通りの動きを再現しようとする。身体に意識を向けるからどうしたって丁寧になる。まずは右足、右足ができるようになったら左足。そんなふうにひとつひとつ動きを確認しながら、上達を目指す。そうすると、やっぱりスキーはおもしろいし、飽きないのだ。
自己ベストに挑んでいる状態のとき、人は飽きない
では、人はどういうときに飽きるのか。もしかしたら人は、「自己ベスト」に挑んでいないときに飽きるのではないか。
スキーの例で言えば、飽きずにできるのは、これまで自分ができなかったことに挑戦しているときだ。理想とする滑りに近づくために、新しい動きを練習する。身体の動きに意識を向けながら丁寧に滑る。自己ベストの滑りにつながる可能性のあることをしているから、飽きがこない。
逆に、軽めの動きや、動作の確認程度では、自己ベストを更新する滑りはできない。手を抜いても、雑に滑っても、自己ベストは狙えない。人は、自己ベスト更新の可能性がないものに対しては飽きるが、自己ベストに挑んでいるときには飽きないのだ。
以前書いたコラム内で紹介した古賀史健さんの記事に「続けるためには、丁寧にやること」とあった。丁寧さとは自己ベスト更新のためにも必要な要素ではないだろうか。
丁寧にやろうと意識する先に、自己ベスト更新が待っているのだ。だから飽きずに続けるためには、丁寧さが必要なのだろう。そう考えれば、「続けるためには丁寧であること」も納得できる。
「飽きない」より「自己ベスト」
「商いは飽きない」なんて言われることもある。だから、飽きないことを仕事にするといい、などとも言われる。しかし、飽きないかどうかなんて、やってみないことにはわからないものだ。だったら、飽きないものを探すのではなく、自分は何の自己ベスト更新に挑みたいのかを考えるといいかもしれない。なにより、「飽きない」という否定形を使って対象を探すより、「自己ベストを更新したいもの」を探すほうが、前向きでいい。
趣味でも商売でも、「よく続けているよなあ」と思うことをしている人がいる。ご本人が意識しているかどうかは別として、そういう人はきっと、なにかの自己ベスト更新に挑んでいるのだろうなと思う。
そういうぼくも、このコラムを書き続ける理由はきっと、自己ベスト更新に挑んでいるからなんだろう。自己ベスト更新はなかなか訪れてはくれないけれど、ごくたまに訪れる「いいこと書けた!」と思える瞬間がたまらないものだ。
自己ベスト更新を目指すこと。これが飽きないためのコツである。