冬季オリンピックがはじまっている。
競技に出場するオリンピック選手たちの動きや技術は、心を動かすものがある。一般人であるぼくからすると、当たり前だけど到底真似のできないものであり、だからこそ「すごいなあ」「どれだけ練習したんだろう」と感心するのである。
一方で、オリンピックに到底出場できないような人たち、もっと言えば競技をはじめたばかりの初心者の人たちの動きが心を動かさないかというと、そんなことはない。初心者のころにしか提供できない、初心者特有の価値もあるはずだ。ということで、今週は「下手であることの価値」についての気づきである。
制限を取り除くもの
先週に引き続き、今週もスキーに行った。スキー場にはコース上にコブがつくられているところがある。たいてい中上級者のコースにあり、そのコブを滑るのは上級者が多い。
まだコブを滑ることのできない自分は、コブのコースに入ることを躊躇してしまう。上級者の邪魔になるのではないか、コブを崩したら嫌がられるのではないか。滑れてない自分を晒すことに恥ずかしさもある。そんな風に自分の行動を制限してしまう精神的なブロックがあるのだ。
そんななかでも、自分と同じレベルの人がコブに挑戦する姿を見かけることがある。転んでいるし、全然上手に滑れていない。しかしその姿に安心する自分もいる。あの人は頑張っているのだからと、自分もコブに入っていいのだと、そう思えてくる。下手でも挑戦している姿は、まわりを勇気づけるものだ。
見る方向を変える
自己啓発の本を読んでいると「他人の目を気にするな」という内容が書かれていることがある。ところが、この言葉を実践するのはなかなか難しい。人間社会という人との関係性の中で生きているからには、他人からどう思われているのか、気にしないほうが不自然でもある。
しかし、たとえ他人の目を気にすることをやめられなかったとしても、誰の目を気にするのか、その対象は変えられると思うのだ。これまでは自分よりも上手な人ばかりに意識を向けていた。その意識を向ける方向を、自分と同等か、もしくは自分よりも初学者に変えてみればいい。すると考え方も変わってくる。
下手でも挑戦している姿は、誰かに勇気を与えている。見ている人たちに「自分でも大丈夫なんだ」と思わせてくれる。たとえ上級者に迷惑をかけることになったとしても、下手ながらにも取り組む姿を見せることは、誰かを勇気づけるという意味で十分プラスになっているはずだ。
今しかない価値
ありがたいことに最近、仕事のお声がけを少しいただいている。ビジネスは初心者だけど、それでも期待に応えられるよう、精一杯やっていきたい。下手でも取り組む姿は、自分と同じような初心者にはきっと勇気となっているのだろう。その姿を発信していければと思う。
ついつい、初心者であることを隠してうまいことやろうとしてしまうけど、そんなことはしなくてもいいんですよね。下手であることに価値がある。そしてその価値は、上手になってしまえば出すことはできない、今しか出せない価値なのだ。