人が選択を迷うのはなぜだろう。
たとえば、犬は散歩のときにどこにおしっこをするのか迷ったりするのだろうか。猿はりんごを食べるか、みかんを食べるかで迷うのだろうか。少なくとも実家で飼っていた犬は、なにかで迷う姿は見せなかったように思う。もちろんぼくが見てなかっただけで、実際は迷っていたのかもしれないけれど。
会社員 vs フリーランス
さて、ぼくはいま、大いに迷っている。決断しなければならないタイミングとも言える。なにに迷っているのかというと、「このままフリーランスを続けるのか、再就職するのか」である。迷うのはもちろん、再就職という選択ができる状態になったからだ。以前から登録していた転職サイトからの企業紹介のメールに割と気軽に返信したところ、そこから話があれよあれよと進み、最終的には内定という状況になった。経済的に考えればとても良い条件である。
しかしすぐにその選択をできない自分がいる。
交錯する思い
人はなぜ迷うのだろうか。
たとえば2年前のぼくは、会社を辞めるかどうかで迷っていた。結局最後は辞める決断をしたのだけど、その決断に後悔はない。うまくいくかどうかは置いといて、やってみないとわからなかったことはたくさんある。きっと辞めなかったときのほうが、あとあと後悔しただろう。
あのときは、「死ぬときに後悔するかどうか」で最後は選択した。一方でいまは、大切なものを守るためにもお金は必要だという現実もある。
せっかくがんばってきたのに、いまさら会社員に戻るのかという思いはある。会社員になって経済的に立て直しながら、新たな道を模索していったほうがいいという考えもある。
いまのお客さんを裏切ることになるんじゃないかという思いがある。一方で自分よりも上手にできる人はいくらでもいるとも思う。
専門性(光学)を活かしたいという思いがある。フリーランスではその専門性を活かすのは難しいと感じている自分がいる。
いろいろな考えが交錯するのである。
迷いのなかで磨かれる
人はなぜ迷うのか。
動物は迷わないのに人間は迷う、というと動物のほうが人間よりも本質的であるような印象を受ける。でも本当にそうだろうか。「人は迷うことができる」という考え方だってできる。
迷うから考えが洗練される。迷うからこそ本当に大切なものが見えてくる。迷うという過程で磨かれる部分は必ずあるはずである。
迷いの中にいるのは苦しいものだ。迷いのない人生というのはあこがれるし、迷いのない人はかっこいいとも思う。
それでももう迷っちゃったものは仕方がない。大いに迷い、大いに悩もうと思います。
もうこういう迷いからは卒業したはずなんだけどなあ。